SSブログ
コンピュータ ブログトップ

HDD価格の不思議? [コンピュータ]

久しぶりのパソコン(ジャンク)ネタになります。

先日近くのハードオフ(戸田)をのぞくと、DynabookのTX/65D(写りませんのコメント付き)が3K¥+消費税で陳列されていました。此処のお店の良いところは店内にチェックカウンタが用意されていて自分で状況を確認できることです。

早速使えそうなACアダプタを見つけてSWを入れるとBIOSが問題なく起動。メモリー1GBも確認できました。

Core2Duo T5500搭載でDVDマルチが付きHDD無し(マウンタ付き)だったので取りあえずゲット。

HDDが2.5インチのSATAで手持ちが無く秋葉に探しに行きましたが、中古(ジャンク扱い)でも結構高額で250GB
でも3K¥強。

他も探そうと購入は控え帰りに池袋のYAMADAを覗くと、新品のポータブルUSBディスク(500GB)が3380円、
750GBでも4280円で販売されていました。取りあえず両方を購入して帰宅。

DSCF3122.jpg  DynaBookと東芝のUSBディスク

続きを読む


衝動買い....ほんの出来心だったんです [コンピュータ]

久しぶりのコンピュータ(パソコン)ネタになりました。

先週Windows7が発売され、パソコンショップや量販店はお祭り騒ぎの状態です。

ここのところジャンクレンズネタばかりでしたが、この週末もビックのアウトレット館やLABI日本
総本店の開店騒ぎでにぎわっている池袋にレンズ漁りに出動。

残念ながら惹かれる様な格安レンズもなく(現在の狙いは魚眼?かな)、ビックアウトレットの
上層階に開店したsofmapを覗いてみました。

程度の良いネットブックやネットPCの中古が3万円前後で出ており一寸惹かれながら帰ってきました。

 

続きを読む


nice!(0)  コメント(4) 

コンピュータ今昔物語その3(HYBRIDコンピュータ) [コンピュータ]

今昔と言うよりはコンピュータの昔話と理解してもらった方が良いのかも知れない。

現在HYBRIDと言えば誰でも自動車の事だと思うのは当然でしょう。
しかし40年前にはHYBRIDコンピュータといったシステムが存在していた事を
ほとんどの人は知らないと思う。
私の卒業研究の課題はA/D、D/A変換のHYBRIDコンピューティングにおける
誤差の補償方法であった。
と言えば感の良い方はわかると思うが、デジタルコンピュータとアナログコンピュータ
を両方使って処理を行うシステムの事でした。
当時のコンピュータ(この場合デジタルコンピュータの事を言う)は演算処理が遅く
データ処理は出来ても高速な計算は必ずしも得意ではありませんでした。
一方アナログコンピュータ(以下アナコン言います)は、電子回路そのものなので
精度はともかくとしてリアルタイムで演算が可能でした。

私の仕事は人工衛星を打ち上げるロケットの制御系の解析で、実際のロケットエンジン
の制御系モデルのシミュレーションとその結果をフィードバックした飛翔経路の
シミュレーション計算を一緒にやることでした。
当時は大型計算機を用いて精密な飛翔計算を行っても、制御に関しては理想的な
制御が行われていることが前提のモデルでしか行われていませんでした。
飛翔の計算は風などの影響を加味した上、でニュートン力学の微分方程式を解く
わけで0.1秒刻みの積分を行えば十分でした。しかも計算機上では実時間以上
に時間が掛かっても特に問題はなく精密であれば良いわけです。
(地球の中心を原点としたX,Y,Zの絶対座標系で計算は行われます)
一方機体を見てみると電子回路を組み込んだ制御回路が働き、方向の制御や
空気の影響による力に対する姿勢制御が行われ0.01秒以下の周期で偏微分
方程式を解き、0.1秒毎に軌道の飛翔計算に同期をとってデータをフィードバック
する必要がありました。
理由は大きな3軸制御の装置に実際に搭載するジャイロを取り付け、打ち上げ前の
確認試験をするためでした。
この為に電子回路や油圧回路の模擬が簡単にできるアナコンとデータ処理やリニア
な計算が得意なデジタルコンピュータを統合したHYBRIDコンピュータが生まれました。
アナログコンピュータで精度的に大丈夫だったのかというと、実際日本で最初の
静止衛星を打ち上げたNロケットの制御回路には真空管(12AU7相当の高信頼
双三極管)の差動アンプが使われていました。従って熱ドリフトもありアナコンで
十分な精度を出すことが出来ました。
当時使用していた計算機は日立製作所が特別の開発した専用デジタルコンピュータ
CLOAP2000というマシンと日本一と言われた100Vタイプ(うろ覚え)のアナログ
コンピュータでした。CLOAP2000というマシンは浮動小数点演算に特化したマシンで
性能は良かったのですが大変不安定で夜中によく泣かされました。
夜中に筑波宇宙センターからサポートの責任者に電話し、コンピュータのボードに
自分でジャンパーを飛ばしたのも1度や2度ではありませんでした。

これが現在のジャンク親父のトラウマかも知れません。
遠い昔の思い出でした。


nice!(0)  コメント(0) 

コンピュータ今昔物語その2「パソコンの祖先」 [コンピュータ]

またまた古いお話です。
本当にパソコンの祖先と言えるのかどうかは自信がありませんが。
初めてオフィスや家庭用の電源で使用できるようになったコンピュータ
だと思います。
登場したのは昭和44年で国内初のミニコンと言われました。
その少し前に米国のDEC(現在のHPに吸収されました)が、世界初の
ミニコンとしてPDP-8を発売しております。
丁度大学を卒業してこの世界に入ったばかりでした。
今のPCから見れば極めて非力で、メモリーは8Kワード(16ビット1ワード)
でIO機器としては最初はASRのTTYのみ(TELEXのタイプライタ)でした。
少し経ってから紙テープリーダーやパンチが発売されと記憶しています。
これでもアセンブラとFORTRANコンパイラが使用可能でしたので、
驚きとショックを受けました。
開発したのは日立製作所の子会社の日立電子で製作所が販売を統括
して各子会社に販売させていました。
パソコンの様なBIOSを備えておらず、電源を入れて最初の仕事は、
パネルのSWを使って32ワードの起動プログラム(ブートストラップ)を
メモリーに書き込んでから実行させることでした。(ワード数はうろ覚え)
これを如何に早く書き込むかを競い合ったものです。
最初はFORTRANを使用して科学計算ライブラリの開発の業務をさせられ
ていたのですが、突然部長に呼ばれて「おまえ電子工学が専攻だったよな
このコンピュータを使った病院の自動血液成分分析システムを受注したから
責任者になってやれ」との無謀な命令を受けました。
現在4000人程度の社員を有する一部上場企業の前身の会社ですが、
新入社員にこの様な大胆不敵な仕事をさせていたとは誰も想像出来ないと
思います。
OSはおろかBIOSさえ無いマシンで、オンラインリアルタイム処理を行わせ
ようと言うのですから驚きです。
その当時国内でもオンラインリアルタイムのソフトウエアを開発した経験の
ある技術者なんぞ見あたりません。開発元の日立電子や製作所に行っても
アセンブラとそのサンプルプログラム(キーイン、プリント等)の説明はして
くれるのですがマルチ処理をどのようにするかは誰も教えてくれませんでした。
幸い二歳ほど年上で、唯一オンラインシステムを手がけていたと思われる
UNIVACでオンラインシステムの経験のあるメンバーが途中入社してくれ
なんとか開発が動き出しました。
全て手作りのシステムで、外部からの測定データを読み込むためのレジスタ
の論理回路も自分で設計して工場に作ってもらいました。
マルチ処理のための割り込み解析やQueの処理も全て手作りでした。
それでも何とか期限内に納入することが出来お褒めを頂きました。
同じ時に同じ病院の心電図の測定システムを、日立XXが開発受注しました
が期限内に開発が完了せずペナルティーを取られた事で、日頃の親会社
への鬱憤もありみなで乾杯しました。

その後のコンピュータの発達の過程をずっと見て来られたことも、今となっては
楽しかった思い出の一つです。


nice!(0)  コメント(0) 

コンピュータ今昔物語その1 [コンピュータ]

私が若い頃に一番感動したコンピュータです。

今のPCに較べれば性能はあるかに低い物ですが、40数年前はその性能に
感動してしまいました。
コンピュータの機種名 HITAC-5020F
最初にも少し書きましたが往年の名器です。
おそらく日本の技術計算(構造計算やシミュレーション計算)のレベルを大きく
飛躍させたコンピュータだと思っています。
まさにFORTRANを効率よく実行させるためにだけ開発された計算機だった
様に感じました。
(世界的に見ればCDC6000(うろ覚え)に唯一対抗出来た計算機では無かったかと
思います)
我々のバイブルだった森口先生のFORTRAN入門もこの計算機用に書かれました。
メモリーは最大で256KW(1MB)位だったと思いますが定かではありません。
実行時の補助記憶装置(待避用やデータ保存用ではない)として磁気ドラム
が使われこの上にCOMMONエリアやDIMENSIONエリアを定義できました。
大きなマトリックス演算に良く使われました。
もう一つの特徴はDOUBLEINTEGERとして64ビットの整数を定義でき演算
出来たことです。その後世に出たIBM SYSTEM 360では不可能でした。
アセンブラでも、FORTRANのDOループに相当する演算が1命令で実行でき
本当に当時としては使いやすい計算機だったと思いました。

今後、少しずつ思い出をつづりたいと思いますので宜しくお願いします。


パソコンの信頼性 [コンピュータ]

ちょっと一言

初めにも書きましたが、毎日仕事上多数のパソコンと接しています。

現在の仕事先では全国で1,500台くらいのPCが使われています。
現在は標準PCが決められていて、システム部で一括購入して申請部署に
配布されています。
2年ほど前には外資系のH社のPCが標準PCとして導入されておりました。
2.8GHのPEN4のマシンが中心でそろそろ3年を迎えてきています。
1年半ほど前に国産の会社のPCが標準PCに選定されたました。
H社のPCは少し形は大きいのですが、年数の経った割には故障は
少ないようです。一応国内組み立てをうたっており、内部のMB等にも
そのロゴが貼られています。
この1年間で動かなくなっ旨の連絡があり2台回収して確認したところ
CPUの冷却用FAN取り付け用のリテンション部分(プラスチック)が
破損して十分に冷却できず熱暴走した物でした。
気付いた範囲では致命的な故障は発生していなかった様です。

一方の国産機ですが、かって国民機を生産していたメーカーの面影は
見られず、導入台数に対し2%強の故障発生率でした。
(1年間の保証対象期間に地方で修理された実績は把握出来ていません)
内部を明けてみると愕然とします。
何処にもメーカーのロゴは見つけることが出来ず、MBにはOEM元の
MicroStarのロゴがはっきり見られます。
まさにメーカーではなく商社に成り下がって海外のOEM先に丸投げ
していることが歴然と感じられました。

国内各メーカーの技術者は一生懸命良い製品を出そうと毎日心血を注いで
努力していることを確信しています。
でも企業は利益優先で海外の安い物を輸入またはOEMでお茶を濁そう
としているのでしょう。
かっての技術立国日本の面影は何処に行ってしまったのでしょう。
品質の良い日本製品が世の中に無くなってしまうのではと危惧してしまいます。

さすがに今後の標準PCを継続してこのメーカーにして良いかどうかの検討が
はじめられました。


コンピュータ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。